バウハウス
バウハウスとは、1919年、ドイツ・ヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校、である。(wikipedia)
ナチス政権の下で1933年には閉校になり、最後に校長を務めたミースはアメリカへ亡命する。
ミースの、バウハウスとしての活動と、亡命後の個人名での活動とは差異がある、と柄谷行人が述べている。
そこに詳しく書かれているわけではないし、ぼくはそもそもヨーロッパにいた頃のミースの作品としては、バルセロナ・パビリオンしか知らないから、作品の中に具体的な差異を指摘することはできない。
ぼくの理解では、ミースの“Less is more”の建築がたどり着いたのは、触ること(改変すること)を禁止するような力を漂わせた建築で、実は、ぼくがグリッドフレームを構想するときに反面教師的役割を担ったものだ。
それが高層ビルであることにも関係しているだろう。ぼくは、高層ビルの中にいることが苦手だ。鉛直性に不快な圧力を感じてしまうからだ。
彼が推進してきたインターナショナル・スタイルは、可変性を特徴としているはずだが、ぼくには時間が止まっているようにしか感じられない。それは、ミースという個人名が建築に冠せられているからだ。
それは彼自身と社会とが意識することなくつくりあげたものだろう。
そのような矛盾へこそ、今後の社会では目を向けるべきであろう。無邪気に、有名になりたいなどと言っている場合ではない。
→自社ファクトリーでつくる店舗デザイン空間/グリッドフレーム