映画 奇跡の海
ラース・フォン・トリアー監督。
DVDの不具合で、ラスト20分がどうしても観れない。最後まで観ないで、何かを書くなんて失礼なことだが、たぶん何らかの奇跡が起こるのだろう。
妻の犠牲によって、夫は死を逃れることができるのか?だが、妻はいまやそれを望んでいるのかどうかも、ぼくは知らない。
妻はたぶん多重人格者で、神の声を聴いているように見えるのも、実は自分の中からの声なのだろう。
出稼ぎに行った愛する夫との離れ離れの生活に耐えられない妻は、神との対話の中で「夫を返してください」と頼む。直後に夫は事故に遭い、全身が麻痺した状態で妻のもとへ帰ってくる。
妻は自分のせいで夫が大怪我を負った責任を感じるとともに、夫が帰ってきたことを喜んでいる。
だが、動けなくなった夫は、妻に他の男と寝て、その報告をするように命じる。
まったく快楽を得られないにもかかわらず、だんだんと娼婦へと落ちていく妻。同時に妻には神の声も聴こえなくなる。世間は妻を蔑むようになり、とうとうキリスト教会も彼女を追放する。
だが、妻がもっとも悲惨な状況に自分の身を捧げようと決心したとき、神の声は彼女の中に復活する。
その悲惨な場所へ彼女が向かうところで、DVDは止まった。
そこで奇跡が起こったとしても、バラ色の結末が待っているとは思われない。
おそらくかすかな希望が、なんらかのかたちで示されるだろう。
そして、それは見るものによっては見逃してしまうようなものかもしれない。
いや、そのようなものであることを、ぼくは結末に望んでいる。
なぜなら、そのような希望でなければ、世界にとっては無意味な物語になってしまうだろうから。
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