ディズニーランド
『ディズニーランド的建築』という言葉は、20年前にアメリカの大学で建築を学んでいた頃、明らかに侮蔑的に用いられていた。
それは、ハリボテ造作物に向けて用いられていると同時に、閉じられたユートピア世界をつくりあげる思想にも向けられていて、もちろんぼくもそうでないものをつくろうとして、今までやってきた。
だからといって、ディズニーランドがきらいなわけではない。先日、初めて陽向を連れて行ってきたばかりだ。
ハリボテ造作物の徹底ぶりには感心する。それぞれのものを、どうやってつくるのだろう、と考えるだけで退屈しない。
一旦、中へ入ると外の日常の世界が見えないように、徹底して工夫されている。
だが、その感心している「徹底ぶり」こそが、ディズニーランドの空間づくりとGFの空間づくりとを分つところだ。
閉じないこと。閉じては、時間が止まってしまう。死ぬ、ということがない代わりに、誰もが生きていない空間になってしまう。
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