博物館の恐竜の骨
部分的に本物が混じっているかぎり、ぼくらはそれ全体をフェイクとは捉えないのではないか。
・・・・・・・・・・
恐竜博物館へ行くと圧倒される、あの発掘された骨で復元された恐竜の姿。
もちろん、全てが発掘されたものでできあがっているわけではない。見つからない骨は、石膏などでつくられたものであることをぼくらは知っている。
けれど、ぼくらはそれ全体をフェイクとは捉えない。部分的に本物が混じっているからだ。
では、石膏などでつくられた部分を、本物に似せてつくらなかったらどうだろう。
たとえば、ガラスやアクリルで透明につくったり、金属でつくったりしたらどうだろう。
やはり、部分的に本物が混じっているかぎり、ぼくらはそれ全体をフェイクとは捉えないのではないか。
フェイクと捉えないのは、たぶん現代の視点から来るだろう。たとえば、金属の義足などに対して、もはや違和感はなくなっている。
半世紀前であれば違和感を感じられたものが、今は日常の中に浸透してきている。
これは、デザインの世界を拡げる、大きなチャンスでもあるに違いない。
→自社ファクトリーでつくる店舗デザイン空間/グリッドフレーム