GF001のコンセプトノート

店舗内装デザインを手がけるグリッドフレーム001の視点

GRIDFRAMEがずっと目指してきた何か

全部壊して、また一からつくるような世界ではなく、個人が何かに気づいて変化させていくうちにいつの間にか全体が変わっていくような世界へ。

・・・・・・・・・・

和が家カフェの扉の制作中(2023年夏完成予定)

<対応→構造→意味の生成→意味の解体、の循環>

ニューヨーク州バッファローで、スクラップヤードのスクラップという捨てられて意味を剝ぎ取られた存在に一対一で向き合うことで、構造し、意味を生じさせようとしたのがGRIDFRAMEの始まりだ。

無意味と思われるものに対応し、構造して、意味が生じる。ぼくはこの段階をライフワークにしようと会社を興したのだが、実は、より大きな問題はその後にあった。

それは、意味が生じたら、その意味を取り去らねば、新たな創造に向かって対応することができない、という問題だ。意味が存在するとは、一方で、ある構造(システム)が完成し閉じられたことに等しいから。未来へ向かって開くためには、閉じられた世界は、やがて壊されなければならない。

いかにして閉じられた世界が崩壊するか?これが暴力的に行われてきたのが、これまでの世界史といえるのではないかと思うが、それではその度に幸福が遠のいてしまう。時代が進んでも、ぼくらは以前より幸せにはなっていない、と多くの人が感じている。

それはなぜか?閉じられた世界で権力を得た勢力はその構造を温存しようとし、そのために他者へのハラスメントが横行するようになるのが常だからだ。ハラスメントとは、自分は変わることなく、相手を自分の思い通りに変えようとする行為だ。

ハラスメントを失くし、あらゆる多様性を認め合うことで他者との平等な関係性を成立させ、自分の内部では理解できない外部との交通を促し、他者とともに自分が変化しながら、閉じられた世界を壊していく。そうして、次のサイクルを起こしていく。

和が家カフェの商品棚の制作中(2023年夏完成予定)

<少しずつ変わっていく>

対応、構造、意味の生成、意味の解体、そして、次の対応、・・・というサイクルで、個人も社会も動いていくだろう。そのサイクルの中で、意味が生成され、消滅する、というフェイズをどう乗り切るか、は大きな問題だ。

例えば、戦争はこのフェイズの一形態だ。暴力的な破壊。地震や台風などの自然災害。・・・次のサイクルへ進むときに、このような徹底的な破壊が起こって前のサイクルとの断絶を起こすことは往々にして不幸を生んできた。

ならば、そうではない移行をめざせばよい。時間に任せたゆっくりとした変化がこのフェイズの理想的な一形態だろう。そのような場合は、前のサイクルの大半が次のサイクルへ受け継がれるため、次のサイクルへの移行がスムーズだ。

それは、スクラップ&ビルドで全部をすげ替えてしまうような「大きな創造」ではなく、時間の作用を受けて消滅した部分を「小さな創造」で回復していくことの連続になるだろう。少しずつ構造し、意味を生成していく。

人間は、こういうサイクルの中でらせんを描いて高みへ上り続けることができるのではないか。

e-sports HANGOUTの壁の制作中(2023年夏完成予定)

<「創造性の連鎖」とSOTOCHIKU>

GRIDFRAMEは、次の二つの実践を軸とした空間創造を行っている。

1.創造性の連鎖・・・複数の人間で大きな一つのものを構造(創造)するとき、ひとりひとりの小さな創造を連鎖させるという試み。

2.SOTOCHIKU・・・時間によって意味の消えかかったモノを素材として新たな空間に生かす試み。

この二つを同時に行うことによって、対応、構造、意味の生成、意味の解体、そして、次の対応・・・という4段階の理想的な循環を重層的に引き起こすことができると考えたのだ。

創造性の連鎖は、個人の小さな創造の連鎖させる方法を言うが、「小さな」とは外部からのみ言えることであり、それぞれの個人の内部から見れば、みな無限を相手にした創造であり、大小はない。つくるリレーの中ですでに、前の走者(つくり手)がつくった意味を部分的に解体しながら走る、ということを繰り返す、というある意味で前の走者にとっては残酷なところが最初から含み込まれている。だが、上記の循環が空間制作中から稼働する試みであり、後の走者によって自分の創造したものの一部が改変されることさえ承諾することができれば、関わった全員が創造を全力でやりきったという実感を抱くことができる。

このようにしてつくられる空間は、いい意味で完成しない。クライアントに未完成なものとして引き渡される性質を持っている。だから、クライアントもそのニーズに合わせて空間を心置きなく変化させることができる。ずっと4段階の小さな循環が繰り返される空間になりやすい。

SOTOCHIKUは、空間創造を「今」という時間から一斉に始めない。例えば、100年前に建てられた工場から寄付された素材であれば、すでに100年の時を記憶している。

その素材は、すでに以前与えられていた意味から解放されているかもしれない。その場合は、以前の4段階を経て、次の対応の段階に移ろうとしている。

もしくは、以前与えられた意味をそのまま新しい段階へ持ち込むかもしれない。その場合は、これから意味の解体へのフェイズに入ろうとしている。

このように一つの空間の中で、異なるフェイズにあるモノたちが時間軸の上で重層的に動いていく。その重なりが織りなす「豊かさ」こそが、ぼくたちGRIDFRAMEが空間に求めるものだ。

深沢 No.X9Z STUDIO SOTOCHIKU素材を用いた扉

<大きな空間のつくり方>

40坪以上など、大きな空間を既存の内装から新しい空間につくりかえる仕事が増えている。

小さな創造を繰り返して、少しずつ変わっていくことを理想としているぼくらとしては、どうすれば、全解体で始めること、つまりスクラップ&ビルドを避けられるか、と考えてみる。

しかし、結果として全解体になるケースが多い。なぜか。それは、残念ながら元々在ったベースとしての空間が次の用途を受け止められるようにつくられていなかったからだ。

引き継がれるに相応しいものとしてつくられていなかったからだ。

70年代以降につくられた空間は、新建材と呼ばれるさまざまな化学物質を含む建材が使用されるようになり、ほとんどの空間が美しく年を重ねることができなくなってしまった。

また、かつては大工一人でつくったような空間に感じられる情熱が、70年代以降の大勢でシステマティックにつくられる空間からは感じられないことが多いのも理由の一つだろう。

最近になって、GRIDFRAMEがつくってきた空間は、テナントが変わっても内装空間がそのまま受け継がれていたり、つくったものが他の場所へ移されたり、壊されることなく使い続けられている例がたくさんあることに気づいた。

今後はより意識的に、ベースとしての空間を情熱を込めてしっかりつくって、周囲に働きかけながら、時代に合わせて少しずつ創造的に変化していける空間が社会に波及していくことをめざしていく。

全部壊して、また一からつくるような世界ではなく、個人が何かに気づいて変化させていくうちにいつの間にか全体が変わっていくような世界へ。

新宿 CLUB ICON 古い写真を使用した壁

<そっと包み込むように>

最後に、GRIDFRAMEの新たな空間のデザインへ向かう態度について。

デザインとは、経験に比例して多くの引出しを持っていればできるものではない。プロジェクト毎に、クライアントが向いている方向と、空間を取り巻く諸条件を重ね合わせて、ひとつの物語をものして、それを空間化することで初めて可能になる。

しかし、何かを書こうとして、内容について考えていると、ほんの数秒前に考えていたことを思い出せなくなることがある。

連続性を保つ限りで、文脈は新たにつくりだされる。それは、森の中の湧き水のようだが、一瞬他の考えがよぎったりすると、もう、森自体が忽然と消え去ってしまう。

そのようにして、たくさんの物語が生まれかかっては、かたちをなすこともなく、消滅しただろう。

だから、ぼんやりとしたアイディアが浮かぶと、一呼吸おいて、それが壊れないように、一度そうっと手放す。

それを包み込んだ感覚を忘れないように心に刻む。

実は、上述の浮かんだアイディアを失わないためのアプローチは、空間的な心象として胸の中にある。アイディアのみならず、空間の本質も絶えず立ち現れては消えるものとしてある。それを失わないように、両手でそっとやさしく包み込む。

これは祈りに似ているかもしれない。

立ち現れては消えていくことの繰り返しの中でわずかに残される何かによってなされる「小さな創造」を連鎖することで、この心象を空間化していけるように、願う。

そして、これが現時点で、ぼくが美しいと思うものを空間として実現するためにたどり着いた最良の方法である。

中学受験ドクター横浜校 古いプラモデルを使用したオブジェ

001@gridframe • 2023年1月7日


Previous Post

Next Post