どこかにある風景
どうしてもそこに行きたいと思う風景はある。まだ見ぬ、きっと、どこかにある風景だ。
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メディアが発達したことで、直接見たことはないかもしれないが、写真や映像では見たことのある風景が溢れている。
ぼくぐらいの歳になると、実際に見たか、見ていないかの境界も曖昧になっている。
写真を見て「ここ、行ってみたいなあ」という気持ちが湧いてくることはあまりないが、どうしてもそこに行きたいと思う風景はある。
それは、常に心の中にあり続ける。
まだ見ぬ、きっと、どこかにある風景だ。
でも、それをなかなかかたちにできなくて、近づいたり遠くなったり、を繰り返す。
音、色、匂い、手触り、スケール、密度、という物質的な部分と、
歴史、想い、つながり、という精神的な部分の、
双方の微細な質量に心を傾ける。