機械
模倣から入るのは正しい。機械になりきって、機械をやめたいと思ってもやめられないくらいに体に沁み込んだら、初めてその次を考えることが許される。
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家族で九十九里の浜辺へ。
ゴムのヨーヨーを買って、陽向にやってみせる。ちょっと難しくて10回と続かない。
そのうち、浜辺を走り始める。すると、ヨーヨーは勝手に動いて、走るリズムに合わせて際限なく手のひらを捉え続ける。
手のひらに当てようとするのではいけない。言ってみれば、意志はヨーヨー側にあるように動けばよい。
機械のように、一定のリズムを刻むように。
考えてはいけない。
たぶん、すべての技と呼ばれるものに共通するのは、まずはじめに「機械になりきること」を通過しなければならないことだ。
だから、模倣から入るのは正しい。そこに、オリジナリティは必要とされない。
機械になりきって、機械をやめたいと思ってもやめられないくらいに体に沁み込んだら、初めてその次を考えることが許される。
ぼくになかなか技が身につかないのは、明らかに機械になることへの忍耐強さに欠けるからだ。
でも、機械になりきれた瞬間はそれはそれで快感であることを知らないわけではない。