言文一致
本を開いた途端に、閉じてしまいたくなるような文字の姿がある。
ぼくは読むのが極端に遅い人間だ、という自覚があるが、それでも一瞥でぼくの読みたいものかどうかが判断できるときがある。
それは、書かれた文字の姿が美しくないときだ。字が上手いとか下手とか、そういうことでは全くない。
ぼくにとって姿が美しくない文章を説明するのは難しい。だが、そんな文章には、ぼくが読むべき内容もない、と直感する。この直感が間違っていない、という確信がどこから来るのかも説明できない。
でも、たぶん、他の人にとっても同じことが言えるだろう、と思う。
逆に、一見したときの姿が美しければ、内容もよいか、といえば、それはそんなことはない。けれど、読んでみようと気にはなる。それだけの違いだ。
明治時代に言文一致が進み、書き言葉の優位がくつがえされ、話し言葉が優位になったといわれる。
だが、書き言葉の視覚的な効果は、意識の底で、今も変わらずぼくらの心に影響を与え続けている。
例えば日本の建築が、書き言葉の姿に似ているように・・・。
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