映画 星の旅人たち
息子が旅先で死んだという知らせを聴いた初老の医者が、息子の遺灰を箱に入れて彼の歩こうとした道を歩き始める。
最初から最後まで、主人公は歩き続ける。景色を見るわけでもない。目的は、息子の遺灰を少しずつ撒くことで息子を弔うことだ。
ちょうど柄谷行人の『遊動論』を読んでいる。そのなかで、遊動的狩猟採集民についてこう書かれている。
狩猟採集によって得た収穫物は、不参加者であれ、客人であれ、すべての者に、平等に分配される。(中略)彼らはたえず移動するため、収穫物を備蓄することができない。ゆえに、それを所有する意味もないから、全員で均等に分配してしまうのだ。(中略)収穫物を蓄積しないということは、明日のことを考えないということであり、また、昨日のことを覚えていないということである。(p.181-182)
歩く旅人同士の関係は、遊動的狩猟採集民の関係に似ている。持っているものを分け合い、また内側に抱えているものも分かち合う。
ぼくが旅に出なくなってから、20年近くになる。明日のことを考えず、昨日のことを覚えていないで、歩き回った日々に想いを巡らしてみる。
だが、意外にも懐かしいという気持ちはない。たぶん、今もそうだからだ。
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