映画 運動靴と赤い金魚
1999年。イラン。
お使いの途中で妹の靴を失くしてしまった少年アリ。
貧しい家計では新しい靴は買ってもらえない。失くしたことは親には内緒で、妹と自分の靴をシェアすることに・・・。
イランの庶民の暮らしぶりが分かり、楽しい。子供たちだけで問題を解決しようとする健気さや逞しさも素敵だ。
ぼくらが生まれた頃の日本は、まだこんな状況に近かったかもしれない。
何かを失くしたら、大事件だった時代を経験しているからこそ、ぼくらはこの映画に共感できるのではないか。そう思うと、果たして自分の子供たちがこの映画に対して共感できるのか、心配になってくる。
ハングリー精神という使い古された言葉がある。格差社会の底辺にいる人たちが、その劣等感をバネに上を目指す力を表すのだろう。
どうやらアリは劣等感とは無縁のようだ。どんなに大変な状況でも、彼が考えることは、妹が喜んでくれる靴を手に入れることだけだ。彼を動かしているのは、決してハングリー精神ではない。
目の前の問題をしっかりと見つめて、解決を図る。アリは、こんな子供に育てたい、と思う理想像に近い。
どんな社会が、このような子を育てるのだろう?
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