書き続ける意味
同級生が亡くなったという知らせが届いた。
ぼくはよく知らない人だが、彼のブログがあるというので、彼のこの1年を辿ることができた。
彼が見たもの、感じたことを静かに辿っていく。
美しい自然の写真。
同じ映画を観て彼が感じたこと。
彼が醸しだす空気に触れることができたことを、ぼくは幸せに思った。
12月31日が彼の最後の記事だった。(その後、こんなに早く世を去ることになるなんて、彼は予想していただろうか。)
この記事は、ぼくのようにfacebookで訃報を知らされた同級生はもちろん、とてもたくさんの人が大切に読んだにちがいない。
3年前に父が急死したとき、ぼくは父が書いたものを探した。けれど、ほとんど見つからなかった。晩年、父がつくり続けた陶器のいくつかと向かい合うことだけが、東京にいて父に接することができる唯一の方法だ。
それはそれで父らしいのだろうが、ぼくはもっと言葉を残してほしかった、と思う。
ぼくは書き続ける意味のひとつがそこにあることを、同級生の死に際して見い出した。
同級生の美しい人生に、・・・合掌。
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