構成力
柄谷行人の「日本近代文学の起源」は、何かをつくる人間に「つくる」ということがどういうことなのか、を考えさせてくれる優れた本だと思う。もちろん、柄谷行人の本すべてが、そういう面をもっているけれども。
ぼくは、1992年にアメリカで建築を学び始めて、その中で柄谷行人の著作に出会い、たくさんの彼の本を繰り返し読み続けた。「共同体と共同体の間」で考える、という柄谷行人の立ち位置が、立ち位置を探しているそのときの自分にぴったりとはまったのかもしれない。
そのとき以来、ぼくは20年以上その繰り返しから出られずにいる。他の本も読まなかったわけではないが、信頼の度合いが違う。
なぜそんなことになったのだろう?
グリッドフレームのコンセプト「創造性の連鎖」は、「構成的なものへの嫌悪」(「日本近代文学の起源」p.216)から来ているだろう。
「構成的なものへの嫌悪は、それが「原理」たりうるには、やはり構成力を必要とするのだ。」(p.216)
閉所恐怖症といわれる症状がある。しかし、開所恐怖症と呼ばれる症状は聞かれない。人間には閉じた空間に対する嫌悪感が生まれつき備わっているのではないか、と思う。あまりに構成的なものは、閉じているのだ。あまりに構成的につくられた空間は、閉じた空間と感じられる。
柄谷行人の著作は一貫して、閉じた空間をつくらないことが主題となっている、と思う。
まさに、構成的なものから逃れるために、自らの構成力を発揮している好例だろう。
繰り返し読んでしまうのは、開いているからだろうか。
→自社ファクトリーでつくる店舗デザイン空間/グリッドフレーム