親子
今も、親分・子分という言い方が残っているが、それは労働組織を擬似家族的にするものであるかに見える。しかし、実はその逆である。オヤとコは本来、親分と子分の意味であった。父や母は、ウミノオヤ、つまりオヤの一種である。父母をオヤと呼ぶのは、家を労働組織と見なすことである。ゆえに、家は血縁的であるよりも、労働組織である。(柄谷行人『遊動論』p.151)
もし、ぼくと妻の間に陽向が生まれてこなかったら、ぼくは何か大きなものを欠いた人生として自分の一生を捉えていたかもしれない。それは、ぼくが家を血縁的であるとしか捉えることができなかったからだ、と思う。
その考えは、ぼくの視野をとても狭くしていた。自分の力ではどうしようもないこと、が容赦なくぼくらの人生に覆いかぶさってくることを受け入れる他に方法を持っていなかった。
上述の文章は、ぼくの視野を大きく広げてくれた。これまで以上に、自分にできることだけに集中していける気がする。
→自社ファクトリーでつくる店舗デザイン空間/グリッドフレーム