通底器
「通底器」という言葉をどこかで見たことがあった。
ぼくは京都で学生だった頃、自動車免許を米子で取った。合宿免許と呼ばれる制度で、2週間ほど旅館で寝泊りをして自動車学校に通うと免許が取れる、というものだった。たぶん、最も安くて早く取れる方法だったと思う。
そのときに相部屋になった服部君は、お父さんが詩人と聞かされていた。京都に戻ってから、「田中君なら興味あるかもしれない」とお父さんが書いた本として手渡してもらったのが「詩神狩りのテクスト」(服部一民・著)という詩集だ。
詩は「解る」とかいう類のものではないだろう。言葉の羅列に読む人の心が動くかどうかがすべてだと思っている。ぼくの状態によるが、その詩集はぼくにインスピレーションをくれる優れた本だった、といえる。
ぼくはときおり、思い出したように取り出しては、文字をなぞることがあった。でも、いつもはこの詩集のことは全く忘れていた。
そして、今日、『苦界浄土』という本を読んでいるときに、ふとこの詩集に出てくる「通底器」という言葉がふわりと浮かんできた。
幸せな瞬間だった。出会ったこともない人が考えていることに、底で通じ合う、と感じる幸せ。
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