鳥ではなく、リスのように
アメリカの大学のキャンパスにはたくさんの栗の木があって、また、それを食べて生きるリスがたくさんいた。
足元には、リスたちの身長くらいの少し背の高い芝生があって、秋には、彼らが栗の実を探し回る様子をぼくは愉しげに眺めていたものだ。
あっちを走って、そこにはない、こっちを走って、やっぱりない。そうこうしているうちに、栗の実に出くわすと、リスだってやっぱりうれしそうだった。
鳥だったら、空から見下ろして、すぐに見つけられるのにね。
鳥のように、俯瞰してものを見たい、と誰もが憧れる。ぼくもそうだ。
けれど、ぼくはリスのように生きたい。
リスは草をかき分けて、草に触れる。土に触れる。石ころにぶつかる。虫にぶつかる。・・・どうしても栗の実にたどり着けなければ、木に登って、見下ろしてみることもできる。木に登ることで、木のこともたくさん知れる。
出会うことの多い一生。触れる機会の多い一生。
そういった意味では、リスは、鳥を圧倒するだろう。
ぼくはリスのように生きたい。
最も進化しているはずのぼくら人間には、羽が与えられていないからね。