水俣病
熊本の出身でありながら、ぼくにとって水俣病は遠い世界の話に過ぎなかった。ぼくが熊本に住んだのは、高校時代と浪人時代の合計3年半に過ぎないが、そのときも誰かとの会話で話題に上ったことは一度もない。
古い友人である金大偉さんが石牟礼道子さんのインタビュー映画『花の億土へ』を監督しなかったら、ぼくがこの病気について考える機会は一生なかったかもしれない。ぼくはずいぶん遠回りをしたのだと思う。
とはいえ、1990年ころに読んだ唯一の石牟礼道子さんのエッセイ『いまわの花』はぼくの心に強く印象を留めていた。ぼくは読んでいる間、清らかな気持ちで水俣病の患者になれた気がしたし、同時に、患者の母親になれた気がした。ぼくは悲惨を極めた状況の中にいる人々と、確かに繋がった気がしたのだ。
それは、石牟礼さんの文章が、いつも不思議な希望を湛えているからなのだろう。さんざん打ち負かされた後の、もう、だれにも打ち負かすことができないような、極限状況に在る希望を。
それは、呼び方によっては、宗教かもしれない。金さんが言っているように、まさにアニミズムと呼ばれるものかもしれない。
万物に霊魂が宿る、という認識を失った者たちが世の中を動かすとき、このような悲惨が生じる。だが、弱きものたちから、このような認識を回復していけるという予感。石牟礼さんは、これを希望と呼んでいるのではないか。
ぼくがグリッドフレームの活動の中で、創造性と呼んでいるものも、この「万物に霊魂が宿る」という認識からしか始まらないだろう。
そのような認識を妨げるものは何か?ぼくの闘う相手はそこにある。
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