蓄積
個人や自分の属する組織への富の蓄積をしなくなると、人は自由と平等と友愛を一度に獲得できるのだろうか。
それは分からないが、少なくとも過度の富の蓄積は、不自由と不平等と憎悪に帰結することを想像するのは容易だ。
平等に富を分配する、というときに、その富を獲得した貢献度に応じるというルールがあるから、人はがんばるのだろうか。
つまり、がんばらなかった人にも同様に分配する、というルールになったら、人はがんばらなくなるのだろうか。
ぼくは、自分の親も含めていろんな人を見ていて、そんな人ばかりではない、と言い切れる。
人には、持って生まれた自分の能力を、この世の中のために活かしたい、という想いが必ずある。
報酬次第で、がんばりもするし、がんばらないことだってある、なんて根本的に間違っている、という考えはおかしいだろうか。
重要なのは、自分を社会に活かそうとする意志であって、逆に組織は個人を見るときに単に能力主義に陥ってはならないだろう。
組織の存在目的は、それぞれの個人の能力を社会に活かし続ける基盤となることだとあらためて思う。
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