映画 私の中のあなた
2009年。アメリカ。
アナ・フェッツジェラルドは白血病の姉ケイトのドナーとして、遺伝子操作で生まれてきた。アナはケイトのために臍帯血、輸血、骨髄移植などでケイトの犠牲となってきた。アナが13歳の時、腎移植を拒み、両親を相手に訴訟を起こす。(wikipedia)
医療の進歩によって、今までは不治の病であった癌などが治癒可能になった。衛生的な環境が整えられたことも手伝って、この1世紀で人間の寿命は飛躍的に延びた。
このことは一人ひとりについて言えば、一見疑問の余地のないくらいよいことであるかのように見える。だが、命をコントロールできるようになったということが引き起こしている問題は計り知れないほど大きい。
この映画では、「私が細胞二つになっても、死なせてくれないに決まっている。」というセリフに象徴されている。死を選択する自由について。この問題は医療が現在のように進歩する前にはなかった問題だ。
また、マクロな視野では、人口爆発を引き起こした。一人ひとりの命の重さはむしろ以前よりも軽んじられているのかもしれない。
医療の進歩に対するぼくらの視点は、両義的であることを強いられている。おかしな時代に入ってしまった。
そうなると、この問題の答えは「自然」に学ぶ、という方向を向くしかないだろう。
つまり、どこからが医療の行き過ぎであるか、を自然という観点から線を引こう、という考えである。
この考えにおいては、「あきらめる」という決断は、美徳でありうる。
ぼくはキリスト教徒ではないが、イエスの死は、死とはなにものでもなくなることではないことを、ぼくらに教えてくれる最良のテキストだと思う。
死について考えることは、生について考えることに等しい。それをわかりやすく伝えてくれる映画だった。
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