汚れることへの怖れ
STUDIO COOCAの関根さんと5年ぶりにお会いした。
知的障害、精神障害と呼ばれる人々の社会進出への道を切り拓くために、さまざまな試みを続けてこられた方で、平塚で創作活動を行える場所としての福祉施設を主宰していらっしゃる。
「~させる」ということをしないで、利用者から出てきたものをかたちにする、という姿勢を一貫して崩さない。したいこと、やりたいことで収入を得る道をつくることを目的としているのは、グリッドフレームと全く一緒で、お話にはいつも共感を覚える。
知り合って15年以上になるが、利用者のアートがお金にならない状況は残念ながら何も変わっていないそうだ。ただ、変わったのは周囲が奇異の目で障害者を見ることはほとんどなくなって、障害者はふつうに外を出歩けるようになったという。
関根さんも、ぼくも、環境は整いつつある、というところかもしれない。
お話の中で、ある利用者にしかできない制作物について語られた。
彼の作品の表面は、がさがさの質感を持っていたが、関根さんが真似しようとしても決して同じものができない。
彼を見ていると、接着剤をべたべたに塗って、自分も周辺もなりふりかまわず汚れにまみれてつくることによってしか、その質感は出ないことが分かる。
汚れることへの怖れのある人間には、それは制作不可能なのだ。
やろうと思ってもできない、という壁をやすやすと越えるのは、逆に障害者のほうだったりする。
つくる、ということの中にいるおかげで、そんなことがたくさん見えてくるのがうれしい。
→自社ファクトリーでつくる店舗デザイン空間/グリッドフレーム