愛想
愛想がよいのは、両親から受け継いでいる。
概ねそれは対人関係でポジティブに作用してきたと思うが、アーティスト的な方ほど愛想がよい人間に警戒感を持つ傾向があると思う。
そんな相手に対してぼくが褒めると、本心からではないのでは、と思われることがある。
愛想よくふるまう、ということには、二つの場合があると思う。
ひとつは、相手に対して悪い思いをさせず、コミュニケーションが円滑になる、というポジティブな場合。もうひとつは、相手の言葉に自分の考えもなく適当に合わせる、というネガティブな場合。
後者ばかりであれば、結局は相手に対して何も利益をもたらさないことになる。相手にとっては、単なる時間の無駄になってしまう。
だが、前者と後者の違いは、つまるところ、相手をかけがえのない存在として見ているか、見ていないか、の違いだろう。
もちろん、ぼくは自分の感性に自信のある部分でしか、積極的に意見できないから、それ以外のことについてはただ相手の話に相槌を打つしかないこともある。
だが、いつも相手をかけがえのない存在として見ているつもりだ。
結果として、相手に最も大きな利益をもたらすようなコミュニケーションをするために、ぼくは愛想がよいことは必要だと感じている。
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