爆破
ニューヨーク州バッファローで建築を学んでいたときに、工場の爆破による解体(1995年)を見に行ったときの写真を、
http://gfdesign001.com (毎日のブログからの抜粋)
のタイトルに使っている。
数百メートル離れたところに人が集まって、工場の最期を見届けた。
拍手も、歓声もなく、ただ静かな一瞬だった、と記憶している。
そうではなかったかもしれない。ただ、ぼくの記憶ではそうだ。
少し、放心状態になって粉塵が宙を舞うのを見ていた。
それから、この光景が美しいのか、美しくないのか、を自問してみた。
ぼくはその頃、壊れたものの美しさについて常に考えていたのだ。
答えは今もわからない。
けれど、すべてのかたちあるものは壊れるならば、できることなら自然に任せたい、と思っている。
壊れゆくものは、完全さを既に失っているのだから、自身に対して守るべきものがない。
そのような存在の強さを、ぼくは憧れとともに「美しい」としたい。
爆破によって、壊れゆく時間をほんの一秒に縮められたものを、映像に収めてスローモーションで見る。
もしくは、この写真のように、時間を止めて見る。
それを美しいと思う心があってよいものだろうか。
→自社ファクトリーでつくる店舗デザイン空間/グリッドフレーム